むかしむかし 西暦585年の話

西暦585年ちなみに聖徳太子は11歳の頃 即位したばかりの用明天皇はやって来た

郷土史(万弘寺御創建由来考)を読むと奈良時代今を遡る事1434年前

用明天皇大分市の東部坂ノ市(当時は日吉村)に来られたと記録にある

当時は砂金で財を成した真那ノ長者が三重町に健在でその孫は

用明天皇と長者の娘 般若姫(都に向かう途中瀬戸内海で海難事故死)の

間に生まれた玉絵姫が居た

その実の娘に会いに来たのではないかと言う

帰りにこの日吉村で重い病にかかってしまい村人達に世話になったとされ

都に帰ってからそのお礼に寺院を建てたと言われるのがこの万弘寺(萬弘寺)

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創建当時は1万坪を誇る大寺院だったと言われる

境内には用明天皇が座ったと言う石、説明看板がある

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天皇が都へ旅立つ時 西に1.5km先には亀塚古墳、その北西には今は無き瓜生島

北には国東半島、東にはこの前削られた磯崎の円墳が見えていたはず

船出は今も地名で残る「王の瀬」大王が船出したと言う意味らしい

大分は瀬戸内文化圏で都とは瀬戸内海を通り太古より行き来があったらしい。

用明天皇への貢ぎ物を物々交換して始まった「萬弘寺の市」は毎年5月

今もなお続いている。

境内の水子地蔵尊に縁があり毎年ここにお参りしています。

ア~タイムマシンが欲しいなァ・・・