今年も大漁祈願・・・って事で
漁の神様
速吸日女神社へ初詣
この神社は中央構造体の断層から成る佐賀関半島にあり
その東は四国へと繋がります
そして紀伊半島を横切り諏訪へ
神社の縁起は
紀元前667年、「神日本磐余彦尊」(かむやまといわれひこのみこと)は東征の途中、速吸の瀬戸に至った。
その流れはあまりに激しく、荒々しかった。
尊が立ち往生していると、その土地の海女の姉妹「黒砂」(いさご)と「真砂」(まさご)の二神は尊に告げて、海底に棲まう大蛸の元へと向かった。
海女の姉妹は潮の流れを鎮めるため、海底で大蛸が護る神剣を取り上げ、急ぎ浮上し尊へ奉献した。
神日本磐余彦尊は自らこの神剣をを御神体として、祓戸の神「速吸日女」を奉り建国を請願した。
すると潮の流れも鎮り、尊の一行は無事、速吸の瀬戸を通過することができたのだという。
神社のホームページより
立派な鳥居と山門をくぐり
社務所などの先に立派な本殿があります
文中の速吸の瀬戸とは
関アジ関サバのブランドで有名な豊後水道の事です
この豊後水道と別府湾で獲れる魚に寄生虫のアニサキスは居ないのです
流れが速くて筋肉の動きが激しいからだと言われています
宮崎県の高千穂に降り立った神は
陸伝いにこの佐賀関に至り、目の前に見えている
四国の佐多岬へと渡ったのです
当時はまだ別府湾に瓜生島、久光島 共に1596年沈むなどがあり
その島々を左手に観ながら船出したと思われます
当時の船は小さくて陸伝いが最も安全な旅程だったでしょう
紀元前667年と言えば
神武天皇の即位紀元前660年の7年前、
そして私のルーツ
海女のひとり「黒砂」の名前から察すると当時も
この近く西方の浜辺が黒い砂鉄で覆われていて
先祖はここの出身で製鉄を思わせる私の苗字の一族の家が今も軒を連ねています
鉄器の時代を迎えると私の先祖は砂鉄から鉄のインゴットを製錬していたと思われるのです
ロマンですなぁ・・・
さて本殿にお参りして
いくつも境内にありそれぞれにお参りして・・・ン?
この子たちは?去年は参道に並んでいたのですが
今年は
ベンチにのっかっておりまする
タコのお地蔵さん?
この神社のマスコットキャラクターの様です。
さて今年も大漁かな?